「頑張ったら負け」、が世界標準の人生哲学。

世界から見て、日本人は「勤勉で真面目」という印象を持たれている様に思う。その特性を象徴する言葉が「頑張る」という言葉ではないだろうか?

   

日本人はとにかく「頑張る」という言葉が好きだ。

小さい頃から「頑張って」と言われて育ち、勉強や仕事でもとにかく「頑張る」。

そして「頑張ることは偉い」、「頑張ることは美徳」という考えが根付いて行くのだ。

しかしこの「頑張る」という言葉は、具体的にはどういう意味なのか?冷静になって考えてみるとこれが良くわからない・。

調べてみると「頑張る」とは当て字であり、「我に張る」ということだ。

その意味は、一つは単純に「その場で踏ん張る」みたいな事、もう一つは「自分の意思を曲げない」みたいな事でもある。

一見するとポジティブな意味だが、現代人が使う「頑張る」は、そこから転じて「困難に耐えて努力する」みたいなニュアンスで使われることが多い様に感じる。

さらに踏み込んでみると、現代の「頑張る」とは「嫌なことだけど我慢して(自分の意思を曲げて)耐える」という、意味が強い様に思える。

例えば、「月曜だけど、頑張って会社に行く」、「本当は遊びたいが、頑張って受験勉強をする」、「頑張ったご褒美に贅沢をする」等、どれも「嫌だけど(自分の意思に反する)耐える」事が前提となっているのだ。

これは本来の「我に張る」が意味する「自分の意思を貫く」とは全く真逆で、「ネガティブな意味」で使われているのだ。さらに何故か謎の「美徳」付きでだ。

さらに、本来の「我に張る」は自分の意思が主体だが、現代の「頑張る」は自分の意思を殺す前提、とても受動的なのだ。

こういう感覚って海外にはあるのだろうか?

例えば、この「頑張る」を英語にしてみるとどうだろうか?

おそらく、そのまま日本式の「頑張る」という言葉は英語には無いのでは?と思う。

単純に誰かを応援する場合の「頑張れ!」は [Fight!] とかだろうし、あるいは、ある人が誰かに何かを頼まれて、「オッケー、頑張るよ」みたいな場合は [OK, Do my best!] みたいな感じだろう。

「嫌なことを我慢して耐える」とう場合があったとしても、力なく [do my best] と言うのかもしれないが、内心は「あ〜あ、嫌だイヤだ・・・」と思いながら、なのだろう。

例えば、良く聞く話だと海外の低賃金のショップ店員などは「無茶苦茶適当で態度も悪い」、というもの。「一応やるけどやる気ないから」とうのが見え見えだと言う。

世界基準だと日本人的に「頑張る」必要は無いのだ、というのが分かる。

つまり「頑張る」必要なんか無いし、嫌なことなんてやる必要無し。いやいや我慢してやっても自分にも他人にも良いことなんて無いのだから。

極論すると「頑張ったら負け」ということなのだ。

もし自分が「頑張ってるな」と思ったら注意した方が良いかもしれない・・・。

自分が「頑張ってる」と思っている状態というのは「嫌な事に耐えてる」訳であり、心身ともに良い筈がない。

もし「好きなこと」に夢中になっていたら、自分を「頑張ってる」とは思わないだろう。

誰に強制される訳でもなく「好きなこと」を突き詰めて、ドーパミンを出し続けている限り、「頑張ってる」という気持ちにはならないのだろう。

どんな人でも「嫌なことを耐え抜く」という事もあるだろうが、そこに「美徳」を感じる日本人というのは独特なのかもしれない。

「頑張ったら負け」、これが世界標準の人生哲学なのだと思う。