超絶リアル画を称賛しても良いのか?

鉛筆などで描かれた「写真の様な絵」がネット上で定期的に話題となる。

   

「これ本当に手書き?」とか「写真と変わらない」と言ったことでバズることが多いのだが、実際あれが本当かどうかはかなり疑わしく思っている。(僕は眼の前で見たモノ以外信じないタチなので、というのもあるが・・・)

最近だと動画を撮るのもお手軽なので、実際の描画過程を早回しで観せた動画もよく目にする。

しかしあれは、例えば写真をトレースして描いたシーンを間に挟むとか・・・、、まあ幾らでもそれ風に見せる演出は可能であろう。

実際に相当レベルでリアルに描く人は存在するとしても、バズ狙いで上手く編集して騙しているモノが半分以上はある気がする・・・。

まあそれは良いとして、そもそも「リアルに描く」という事が世間一般的に相当数バズるというの何か「見当違い」という気がしてならいない。

これには例えば、芸能人がすっぴんを晒してバズるのと同質の「くだらなさ」を感じてしまう。

なぜバズるのか考えると・・・

手書きで写真に様に描ける「技術」や「時間をかけた頑張り」が凄い、という事なのだと思われる。

こういう感想を持つ人達というのは「ほとんど絵を描いた事の無い」又は「絵に対して拒絶反応を持っている」方々なのではないだろう?(美術館などで展覧会を見ても「自分はこの絵が好き」とハッキリ主張できなタイプというか・・・)

「リアルに描く」とうのはつまり「見たままを描く」という事であり芸術的な魅力という意味では限りなく低いと言える。

リアルに描く事が芸術的に評価されたのは写真技術が確立される前のせいぜい19世紀までであり、それ以降は絵そのもにオリジナリティが求められた。

「普通の写実的な絵」を真面目に描いたヒトラーは、当然なんの魅力も無い絵描きなので画家になれる筈が無かったのである。

つまり「技術」はあったが、「オリジナリティが無かった」という事になる。

「リアル画」のバズとはつまり、ヒトラーの絵が称賛されてしまう様な、「オリジナリティは無いけど凄く頑張ってる」ことへの称賛という気がしてならない。

リアル画作者のコメントで「描くの半年かかった」などの「努力の主張」が多く感じられるのも関係しているのだろうか? この「技術そのもの」や「努力」への称賛というのが何か気持ち悪い・・・。

ギターで言うと「速弾き出来る人がギターが上手い」という評価が「本来的には見当違い」だという事に通じる。

真に優れたアーティストの作品とは「努力や頑張り」が表出しないモノだ。

逆に、作品そのモノが「いかにも簡単そう」に、「誰にでも出来そう」な雰囲気を醸し出していたりする。

手塚治虫の漫画、キース・ヘリングのドローイング、リヒテンシュタインのポップアートなどなど。(ビートルズの演奏、等も加えても良いだろう・・・)

これらの作品は単純に真似するだけなら小学生でも上手く描けるだろう。

なぜかと言うと、高いレベルで抽象化され記号化されているので、一般人には「簡単」、「自分にもできそう」と思えるからだ。

これらの作品に共通する点は「高度に抽象化されたオリジナリティ」だ。

かつ、ここに行き着くまでに相当な試行錯誤があり、無数の失敗作があるという事は微塵を感じさせない。

そのため多くの人々に希望と活力を与えるパワーとなり得るのだ。

つまり、この「高度に抽象化されたオリジナリティ」は人類を次のレベルに進歩させる元となる。

芸術だけでなく、あらゆる分野でこの「オリジナリティ」人類を進歩させてきた事は間違いない。

ここまで言えばお分かりかと思うが・・・

「リアル画の称賛」とは「人類の進歩」を否定してしまう行為なのだ。

なぜなら称賛の理由が「頑張り」又は「人類の進歩に寄与しない技術」に置かれている為である。

ここでハッキリ言うと「リアル画でなく、写真で良いじゃん」という事になる。

今後リアル画のバズを見たら、この様な視点もあるという事を覚えておいて頂きたい。